祝辞内容
配信動画
全文
上野千鶴子さんはどんな人?
ja.m.wikipedia.org
う〜ん香ばしいw
恥ずかしながらどのような方なのか存じ上げなかったのですが、かなり面白そうな方ですね。
Wikipediaを読むだけで興味をひくことのできる方は少ないです。
私の母校にも携わっておられたようです。時期は私の学生時代と被っていませんが、是非講義を拝聴したかったです。
Wikipediaを読む限り、女性復権を主として活動、研究なさっている方だそうです。いわゆるフェミニストですね。
「フェミニスト」という単語に良い印象を持っていないのですが、フラットな意識で上野千鶴子さんの祝辞を読んでみたくなりました。
上野千鶴子さんの祝辞を読んだ
全文は冒頭の東京大学へのリンクを参考ください。
女子学生の置かれている現実
統計と定性
冒頭部分にあたりますが、以下の表現になっています。
〜統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。
全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。〜
前段で統計の重要さを説きながら、人のコメントという定性評価を受け入れさせようとしており、まったく信用に値しません。
文科省の方のコメントを説明の流れに引用しているだけで、全国医学部調査結果なるものに、「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」という定量的な評価が可能であれば話は別です。
偏差値、受験生、性差別
各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は〜
第3に、〜4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と〜「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。
整理すると、
男女で偏差値に違いはないが、受験生においては女性の方が偏差値が高い。
東大の女学生が少ないのは性差別文化によるもの。
ということのようです。理解が合っているか大変不安ですが。
第1から第3までお話をされていますが、そもそも受験生の総数、男女比率が述べられていないので第1と第2の文面に価値が感じられません。
ただ、第3については一考の余地がありそうです。
四年制大学への進学における男女比率を挙げられており(そもそも同率にすることに意義は感じないのですが)、「女の子は短大まででいい」という考えは確かに、稀ではありますが大学受験期に耳にしたことがあります。
私が大学受験を経験したのははや15年も前の話なので、さらに状況は変わっているかもしれませんね。
妻が四年生大学、大学院卒なので「短大まででいい」という考えは、我が家においては根付かなさそうです。
確かに、妻の母も、私の母も短大出身でした。
私の父は高卒ですが。
男女の価値基準
男性の価値と成績のよさは一致しているのに、〜女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。〜相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、〜東大生であることを隠そうとするのです。
これは、、事実じゃないでしょうか。
私個人的には賢明な女性が好みなので、テレビのクイズ番組で馬鹿にされ続けるようなタイプは目に入りませんでした。
どちらかというと、私も変わり者なので世間から少しはみ出てるくらいの人に興味が湧きます。
それは、自分がやりたいことをはっきりとわかっている人だからです。
自分のしたいことも考えられない人に興味は湧きません。ギラギラしていろ、というわけではなく、自分のことは自分で決める人がいい、というだけのことです。
女性学のパイオニア
ここでは上野千鶴子さんが「ないから作った」という言葉と共に、女性学を切り開いてきたことが語られます。
私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。
自分の力の源泉が、非常に似ていて驚きました。私の場合は好奇心と、「できない自分に対する怒り」です。
その怒りを外に向けて発散することはないので心配不要です。
常に理想の自分が居て、それに少しでも届かなければ「怒り」を感じます。どうしてできないんだろう、本当の自分はもっとできていいはず、という気持ちから奮起するタイプです。
もしかしたら、上野千鶴子さんも「理想の社会」を明確に描いておられて、そこに到達できない社会の文化や構造に怒りを感じられているのかもしれません。
変化と多様性に拓かれた東大
後半から、ご自身のお話から入学生に向けた内容に変化していきます。私なんか到底辿り着けない学力を備えた方々に対して、一人の社会人また、フェミニストとして違った角度から激励されています。
今のあなたたちは周囲の環境が、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。
鋭い視点、観点です。
学生までは明確な評価基準があり、またそれは外部(言葉を合わせるなら"周囲の環境")から「設定」されたものです。
早くからその環境を抜け出す力を身に付けないと、社会に出ても今までのような画一化された評価軸がないので、拠り所の無い自分磨き/探しを延々と続ける羽目になります。
「自分は何をすればいいんだろう」
「自分は何がしたかったんだっけ」
「自分はどうしてこの会社に入ったんだっけ」
と迷走してしまって、二十歳を超えた大人が子供みたいなことを言うようになります。
迷う分には一向に構わないのですが、会社や社会のせいにするのは違うと思います。
雇用されることを望んで入社したはずです。入社後は、労働契約書にも判を押しているはずです。ご自身が「合意」されているのですから、会社や社会から「理解」したと捉えられていておかしくありません。
しかし、働くことに関して、自分で何か価値を生み出したり、付加したりすることは学校では教えてくれません。
そして終盤では、自分の能力を他者を助けるために使うこと、フェミニズムは弱者が弱者のまま尊重されることを望む思想だとまとめられています。
能力を他者のために使うことに異論はありませんが、東京大学に入学するまでに磨かれたその頭脳が納得できるかはよくわかりません。
世の中は多数決で組み立てられており、マイノリティの意見は後回しです。
偏差値という評価軸の中で圧倒していた彼らは、突然自分の意見が認められない(理解されない)世界に飛び込むことになります。
生きづらい、と感じるかもしれません。
少数意見=弱者 なのであれば、フェミニズムは東大生にも必要な思想ということになります。
フェミニズム勉強してみようかなぁ。
東京大学で学ぶ価値
東大ブランドがまったく通用しない世界でも生きていける知を身につけて欲しい。
最後には、知を生み出す知、メタ知識と言われるものについて身に付けてもらいたい、と締め括っています。
「知識」でありながら、アウトプットに向けられたこのメタ知識は、言い換えれば「人間力」なのかな、と思います。
そういえば、最近は人間力って聞かないですね。これからしばらくは「メタ知識」が流行るかも。
さいごに
男女分け隔てなく騒ぎ立てる人類が素晴らしいでしょうか。男女同値の力を持っている、それが男女平等とは思いません。
等しく必要なのは、教養です。
何事も忍耐し、お互いを理解するという、人間にだけ与えられた「社会性」を「教養」を以て実現することだと、私は理解しています。
おまけ
「彼女は頭が悪いから」買ってしまいました。
読み終えたらまた感想を記事にしてみます。